今の子供の遊びについて違和感が。。。
今の子供って外でもゲームできるんだ
先日、外を散歩していたら、小学生くらいの男の子4、5人が外の小道に集団で座って、何やら下を向いてゲームをしていた。
(ココでは、「ゲーム」を画面上でする「ゲーム」と定義しますね。)
何してるのかなーって覗くと、おそらく任天堂のSWITCH?で、みんな自分が持っている画面をみて、対戦なのか、レースなのか分からないが、ゲームをしている光景を目にした。
30代でおっさんの仲間入りをし始めているが(あまり認めたくないが)、自分の時代もプレステというゲームがあった。
当時は、Bluetoothみたいに無線で繋いで、外でも対戦っ!
みたいなことはできなかったから、誰かの家に行って、その友達のプレステで、ウイイレ(男なら一度は経験したことがあるサッカーゲーム)などをして遊んだことを思い出す。
自分の時代と今の時代で、内容は違うが、ゲームはやはり男の子の永遠の遊びなんだろうとつくづく感じる。
どこでもゲームができてしまう弊害ってなんだろう?
ただ一つ思ったのは、自分の時代は、
家で遊ぶときはゲーム、外で遊ぶときはサッカーやバスケ
と遊びの内容を明確に、ゲームとスポーツを分けていた。
ただ、今の子供って、どこでもゲームができるから、
例えば、外でスポーツをしていても、疲れたら、どこかのベンチに座ってゲームをする、みたいなことになるんじゃないかなーっとふと思った。
別にこれはこれで、遊びの幅が広がって良いとも思う。
でも、メリットがあれば、デメリットもあるのが世の中。
少し意地悪な視点で、どこでもゲームができてしまうことの弊害ってなんだろうと考えてみた。
アナログの時間があるからこそ、コミュニケーション力が養われる
自分の頃は、外で遊ぶときは、ゲームという選択肢はなかったから、
外でいかに遊ぶかということを常に考えていた。
良い例ではないが、例えばサッカーが飽きたら、近所をピンポンダッシュしたり、意地悪なおじさんの家に石を投げて、そのおじさんが飛び出してきたら、ダッシュして逃げたり、、、
そんなバカみたいな遊びをしていた。
でも、そんな遊びを友達と、
「これ、面白いんじゃん?」
みたいなノリで話しながら、その日に思いついたことで遊んでいた。
今考えると、これって、ビジネス的に考えると、お互いにアイデアを出し合い、
お互いがいいねって思えるような、win-winのアイデアを即実行して、効果を試してみるっていう、ものすごくクリエイティブなことをしていたなぁと我ながら思った 笑
でも、外では、こういう話し合いのようなアナログで決めていくしかないから、
自然とコミュニケーションを取るようになるし、相手も賛同してくれるかな?っていう観察力も養われるような気がする。
どこでもゲームができてしまうと、自分よがりになっちゃう!?
一方で、どこでもゲームができてしまうと、
サッカーなどで、疲れてチームを外れた時も、みんなのプレーを見るのではなく、
自分1人の世界に入って、ゲームをしてしまう子もいるだろうなーと思う。
そうすると、みんなで、「あのプレーがよかった、悪かった」とか、コミュニケーションを取る機会も減り、チームで遊んでいるのに、チームではないような不思議なことも起こりそうな気がしてくる。(あくまでも想像だが)
これから生きていく上で、コミュニケーション力は切っても切り離せない力だから、外で遊ぶ時くらいは、ゲームをしないっという選択肢もありではないかと感じた今日この頃でした。
今日は、どこでもゲームができるっていう便利な世の中だからこそ、あえて逆の視点でデメリットについて考えてみました。
みなさんが少しでも、何か学びになってくれたらと思います。
ではでは。